2011年04月01日
謹んで地震災害のお見舞いを申し上げます。
千年に一度という・・大震災から2週間余りの避難生活を経て復帰しました。
3月11日午後2時46分、クリニック休診日、次男はちょうど腕の中。緊急地震速報が鳴り響く。大きな地鳴りとともにこれまで経験したことのない強大な、そして、とてつもなく長い揺れ・・・やっと収まり外へ出ると「10mの津波が迫ってるよ」と隣人の声。息つく暇もなく急ぎ長男を迎えに小学校へ。その後は家族で愛島ナスパを目指して夢中で走る・・深夜まで愛島・・その後、山を越えて仙台市太白区山田に避難、午前零時を迎える。
「何とか・・助かったか・・」
避難生活・・これまで当たり前のように手に入っていた、水・食料・電気・ガス・ガソリンその全てが無い。あるのは、皆々の勇気だけ。一緒にいることがどんなに心強いか、そう、地震・津波から命を守るのはコンクリートの堤防や建物ばかりではない、”絆の盾””絆の壁”が我々にはある。
全てを分かちあい、励まし合う時間が過ぎる。手際良く薪で火を起こしお湯を沸かしてくれた大工さん。そのお湯で体を拭いて生き返り、火を使いご飯も炊けました。キャンプ用の電灯を頼りに息を潜め、暖をとるため寄り添って眠った夜。避難場所近くの公園で、無邪気にはしゃぐ子どもたちの声に癒される一時。
そして・・・絶対に忘れない・・・数日後、電気が点いた午後1時36分のあの大歓声を!
後日、大量の瓦礫と真っ黒の泥に浮かんでいるような我が家と、フェンスが引きちぎられ、流木が溢れて変わり果てた姿になった公園を見て、津波の脅威に呆然。しかしそれも束の間、瓦礫と泥との格闘開始です。やるしかない。自分とは比べものにならないくらい、大変厳しい状況の方があまりにも大勢いるのです。絆・絆・絆・・いつか必ず復活する。
今、自分達に出来ること? クリニックの完全復活にはまだ遠いですが、少しずつ診療を再開しています。そんな夕暮れ、クリニックの駐車場には復興支援車両に貼られたステッカーが輝いていました・・「君 頑張れ」・・一人ではない。